まず、先生の御経歴をお伺いしてもよろしいでしょうか?

まず、先生の御経歴をお伺いしてもよろしいでしょうか?

学生時代に塾講師のアルバイトで小中学生向けの授業をもっていたのですが、その後、駿台予備学校に採用されて大学受験の世界に入りました。駿台には17年在籍し、最後の何年間かは日本史科代表を務め、その後、東進ハイスクールに移籍して10年間教えました。学研プライムゼミの講師になったのは3年前からです。

日本史という教科を選ばれたのは、どんな理由からだったのでしょうか?

そうだなあ。やってみたら意外に面白かった、というのが本当のところです。世の中に存在するものって、たいてい何かしらの面白さが必ずありますよね。歴史について言えば、勉強する醍醐味はやはり、“思いもよらない断層に気づく”体験ができることだと、僕は思っています。
 たとえば、基本的に悲劇としてしか語られない関東大震災にも別の面がありました。あのときに震災で一旦ゼロ、むしろマイナスになってしまったからこそ、最新鋭の工業技術が導入され、今日の東京の原型ができた。物事にはそうした側面もあるんです。震災はもちろん大きな悲劇には違いありませんが、少し視点を転じてみると、メビウスの輪のようになっている別の面が見えてくる。
 歴史上の意外な画期に遭遇できるところ、物事を重層的・多角的に捉える視点を養えるところが、歴史のもつ魅力の一つだと思います。

先生が日本史を教えられる際に、
ポリシーとされていることはございますか?

はい、これはすごくはっきりしています。今やもう“ヒトと同じことをしていて何とかなる”時代は、遥か遠くに過ぎ去ってしまいました。ということは、それぞれの子どもたちの、なかなか発見しにくいけれど、必ず秘めている固有の特質を伸ばしていくしかない。そのために、日本史の勉強を通じてどうアタマを鍛えるか、実はそれしかあまり考えていないんです。

日本史という教科を選ばれたのは、どんな理由からだったのでしょうか?

具体的に言うと、「思考の往復運動」の訓練を繰り返して「生きる力」を養うこと。受験勉強では、この「思考の往復運動」がしばしば求められます。たとえば、現代文では設問と対話をしながら文章を読み解いていく往復運動が欠かせない。具体と抽象という往復もありますね。多くの具体例を抽象化したり統合したりして、一つの一般論に落としこむ。また、物事を別の面から捉える知的作業も、思考を柔軟に往復させなければできないことなんです。大学受験段階では、この辺りまでできるようになっておく必要があります。
 そのうえで、できればさらにアナロジー(類推・比喩)の能力も身につけてほしい。ある物事について、その事情をわかってない人にもわかりやすく伝える能力です。実社会に出ると、これがすごく重要になります。こうした力を、できるだけ鍛えられる授業をしたいなと考えています。

日本史に限らず、世界史も地理も、
いわゆる社会科というのはまずは暗記だ、なんてこともよく言われますが、まったく違うということですね。

そうですね。暗記だけだったら先生なんていりません。少なくとも、大学に行くぞという意欲さえあれば、暗記はできます。それに、小学校で習う日本の歴史って実は十分高度なんですよ。あれがちゃんとマスターできれば、少なくとも高認(旧大検)の試験は必ず80点くらい取れるし、センター試験でもおそらく70点台に到達するでしょう。そうすると、課題は残りのあと少しをどうするか。かつてのように、すごくマニアックなことを問う、自己満足型の悪問はすっかり姿を消しました。つまり暗記では、大学入試の壁を突破できないんです。

日本史という教科を選ばれたのは、どんな理由からだったのでしょうか?

得点力をあげるためには、入試傾向に沿った準備をすること。第一の傾向は、論述的な要素をもつ問題の増加・定着です。そこでは、それなりに深い理解力と思考力が試されます。第二の傾向が近現代史の重視。センター試験では4割以上、理系で日本史Aを選択したらほぼすべて近現代。難関私大でも平均すると近現代史が6~7割を占めますし、なかにはもう近世以降しか出さないという大学もあります。

論述問題と近現代、これが重要になってくるんですね。それでは次に、印象に残った生徒さんについてお伺いしてもよろしいでしょうか。

印象に残っているのは、ある予備校の「東大クラス」に入ってきた男の子です。その受験生、本来なら東大クラスに入れる成績ではなかったんですが、「浪人したからには東大に行きたい! 死ぬ気で頑張るから入れてくれ」と、校舎長に直々に頼みこんで入ってきたんです。偏差値が30台だったので、最初の頃は授業で普通に使う言葉の意味がわからない。そこで、とにかく辞書をボロボロになるまでひかせるところから始まったんですが、最終的に、一年で偏差値が35程度伸び、68くらいになりました。
 難関私大には受かったものの、惜しくも東大には受からず、「残念だったね」と話したときに、「いえ、本当にいい一年でした。できるという自信が得られました」と言ってくれて、感動しました。学力が何に支えられているのかをとてもよく示すエピソードだと思います。
 一般的に僕たちは、特に仕事においては結果でしか評価されません。でも、ヒトに焦点を当てると、たとえば、受験結果を待っていたら予備校生活は終わってしまう。ヒトが成長するのは、その過程であがいているときであって、それは次のチャレンジの際にも大きな財産となって活きる。自分がどこまで行けるのかを体感するというのは、それぞれの人生にとって、代替不能といってよい意義をもつのではないかと思います。

大学受験を、その枠を超え、その後の人生まで含めて大きな意味をもつものになしえた、よい例ですね。では、先生がこれまで指導なさってきたなかで、合格する生徒さんにみられる共通点のようなものがあれば、お聞かせ願えますか?

僕の経験した範囲で言うと、受かる子は実に多様です。でも、失敗してしまう子にはおおよその傾向がある。それは、逃避の精神でガチガチになりがちなタイプなんです。大きな壁に立ち向かうときは、誰しも大なり小なりそういう気持ちを持つものですが、それに心を支配されるようだと厳しい。まず、志望校を決める時点で、そのときの自分の偏差値に合うところを探してしまう。でもこれ、偏差値のしくみをよくわかっていない証明にしかならないですよね。受験生とは学力がどんどん伸びていく存在なので、同じ試験をやれば平均点は急速に上がっていきます。
 偏差値は平均点との距離を示す値でしかないので、たとえば、先ほどの受験生のように「偏差値30台だけど東大行くぞ!」と考える層が、ガーッと伸びてくる。そういうふうに自分もやれば伸びる可能性があるのに、最初から「現状維持」という名の逃げの手を打ち、結局のところ最後はそこも難しくなる。初期にそういう判断をしてしまうと、後半は模試で偏差値50を割り始めるはずです。

まず、先生の御経歴をお伺いしてもよろしいでしょうか?

あと、「模試の成績表は単なる紙切れで、人生を左右する価値なんてかけらほどもない!」と何度も話しているのに、すぐ後ろ向きになってしまうタイプも非常に多い。模試は、結果を冷静に見つめて次に役立てるために受けるもの。なのに判定が悪いと、自分の気持ちが嵐に翻弄されるヨットみたいになるばかりで、すぐ志望校を下げる衝動に駆られる。何度言っても、そういうふうに行動してしまう受験生、あるいはそういう圧力をかける保護者が一定数いるのは、社会的な損失にもなるのでとても残念です。
 現代の若者って向こう見ずなエネルギーを発揮しにくい環境を強制されています。成熟社会のなかで、老いた精神に汚染されてしまいがちだといえばよいでしょうか。でも、それじゃ哀しい。安易に安住の地を求めないのが若さということだし、その気構えは、最終的に大きな失敗をしないためのコツでもあると思います。

では、次に大学入試改革について伺いたいのですが、これについては、どのような心構えで臨めばよいでしょうか?

一番大切なのは、いたずらに不安をあおる情報に振り回されないことですね。改革といっても、壁の形がちょっと変わるだけで、高さはそのまま。大学受験のときに試される力は、本質的にはちっとも変化しないんです。もし、大学受験が中国語必須ってことになったら誰しも焦るかもしれませんが、英語で「4技能」といっても騒ぐ必要はどこにもない。だって、英語を勉強するのに「2技能だけに特化しよう」などと念じていたら、英語力はつかないし、そもそも「4技能」すべてが英語の範疇なんです。そのなかで、四つ目の角度からの問題も出しますよという、ラッキーなヒントを与えられただけ。
 だから、保護者の方も受験生も堂々としていてください。おびえる精神からは何も生まれないものです。視点を変えて話すと、みんながおびえて勝負を避けるなら、大チャンスでもあるわけで、それなら「うちの子は勝負させよう!(自分は勝負してやろう!)」とワクワクすればよいのではないでしょうか。
 身体的にも精神的にも、五体満足な若者がもっとも持ってはいけない道具は「転ばぬ先の杖」。転んで足一本くらい折ったって治るわけで、そこで身につく克服力やたくましさのほうが大切なのに、「この子には苦労させたくない」などと称して、小さな怪我一つさせないようにする。これぞまさに、愛情という名のスポイル行為で、子どもは巣のなかで羽を広げることも許されずに育てられたひな鳥のようになってしまいます。
 また、今は社会の変化が非常に急激なので、親と似たようなルートをたどれる可能性も、どんどんなくなっています。親世代が従事している職業の多くが、十数年後にはないかもしれない時代です。一方で次々に新しいものが生まれ、古いものに取って代わる。そんな時代に保守性に囚われても空虚だということに、日本社会はもっともっと敏感であるべきです。

では最後に、受験勉強に励んでいる高校生たちへのメッセージをお願いします。

僕が常日頃感じていることを、まず述べさせてもらおうと思います。子どもたちは、いつだって親とは異なる道を歩んでいくものですが、多くの保護者は自分もかつて同じような体験をしたと錯覚してしまうところがあるんです。でも、たとえば大学受験をめぐる状況は、一昔前とは様変わりしていて、もはや親子ともども未体験ゾーンを進むしかない。だからどうか、ご自身の小さな小さな体験談をあたかも預言者であるかのように押しつける愚は避けてください。可能であれば、興味・関心・共感を絶やさないようにしながら一緒に情報収集にあたる、一言でいうと、保護者たるもの、控えめで寛容な伴走者であってほしいと思います。おそらくそれが一番、受験生にとって心強いサポートになります。

日本史という教科を選ばれたのは、どんな理由からだったのでしょうか?

高校生の皆さんには、「レールは自分で敷くんだ!」という覚悟を決めてほしい。その覚悟があれば、少しくらい展望を失っても、「それなら自分でレールを敷いちゃえ!」と思えるはずです。大人たちが用意してくれた、善意という名のレールの先は、しばしば行き止まりになっている。大学受験生なら、この点に気がついておくべきでしょう。
 よく知られているように、年功序列型賃金も終身雇用制も高度経済成長という短い一時期が生んだ幻想に過ぎませんでした。今後は、ピラミッド型組織が溶解・自壊現象に直面する一方で、横断的で多種多様なチームがあちこちに形成され、それらが自在な動きをみせながら無数のプロジェクトを推進していく社会がやってきます。教育の場は本来、こうした状況を踏まえたものでなければならないし、皆さん自身にもその意識を持ってもらいたいと願っています。
 前時代的な世界観を変えられないヒトにとっては厳しく見えるかもしれませんが、そこでは、自分の成長や言動がストレートに社会における存在感と結びつくようになります。ドキドキ感満載のはず。「掲げた旗は簡単には降ろさない」という決意で、未来のための奮戦を続けましょう。

大学入試改革2020/ INTERVIEW

野島博之 先生

学研プライムゼミ特任講師
日本史

野島 博之 先生

学者レベルの知識から展開される面白い授業は、受講生から“神”とまであがめられる。『謎とき日本近現代史』(講談社現代新書)、『詳説日本史ガイドブック』(山川出版社)、『大人の日本史講義』(祥伝社)、『よくわかる日本史』(共著/学研プラス)など著書多数。学習漫画『日本の歴史』(集英社)総合アドバイザーも務めた。